vol.10 応援してもらえる服

４０歳を過ぎた頃でした。
広告会社のクリエイティブ局をはなれ、
営業職のいる局に配属になりました。

クリエイティブ局では服装は自由。
営業局に行っても、私の仕事自体が変わる
わけではないので、別にスーツを着ていく
必要はありませんでした。

しかし、せっかくサラリーマンをやって
いるのだから、一度はスーツくらい誂えてみたいと
思ったのです。
ほぼ七五三気分でした。

家に帰り、母にそれとなく

「休みにスーツを買いに行く」

と言いました。
すると、椅子に座りなおし、
正面を向いて、

「そうしなさい」

と言うのです。しかも、安いものは
買うな。買うならちゃんとしたものを
買えと。

古い人間の母は、わたしが私服のような
格好で会社に行くことが生理的に
気に入らなかったのでしょう。

いつもビシッと決めている兄に比べ、
テロテロのポロシャツで会社にいく私を
情けなく思っていたのかもしれません。

母の思いは強く、その日曜日、百貨店に
ついてきました。
百貨店の会員とかで割引できると言うのです。

「そりゃ、ラッキー」

くらいに思っていた私がスーツを選ぼうと
すると、母の方がよく知っている。

言われるままにダークスーツを買って
お金を払おうとすると、

「これは買ってやる。そのかわり、
これからはちゃんとした格好をしなさい」

というのです。

・・・ちゃんとした格好をしなくても
いいから選んだ会社でもあったのに。

とは、母の真剣さの前では口にできません。

その拘束力たるやすごいもので、
そのスーツを皮切りに、私は会社に
ポロシャツやTシャツでいくのをやめました。

不思議なものです。

そこから出会う人が変わり、出向く先々が
変わってきました。

母が、父の形見のパールのネクタイピンを
もってきてくれた。
それをピンバッジにすると、人前で話す
仕事が増えてきた。
政治家や企業のトップを相手にスピーチを
書く仕事がまいこんでくるようになりました。

これがスーツのせいなのか、ただの偶然なのかは
わかりません。
今でも実に不思議な現象だと思っています。

しかし、思えば、

「ネクタイをしていないと風邪を引く」

と冗談で言っていた父の姿が我が家の
どこかに残っているのでしょう。

随分時代遅れの「ちゃんとした格好」が、
私のスタンダードになりました。

これをもってスーツがいいという話ではありません。

人には、その人にあった服装がある。
みんなが一番応援してくれるスタイルがある。

これだけは確かなことのようです。

先日、学生の頃から知っている入社２年目の
素敵な女性と食事をする機会がありました。
きれいなノースリーブのワンピース姿でした。

「会社は地味な人が多いんです。
腕を出している人なんていない。でも、
私たち同期は、『きれいな格好』をしていこうと
決めているんです。その方が仕事も楽しくなりますから」

と健康的な白い歯を見せて笑ってくれました。

その姿をきっと応援してくれる人がいる。

なるほど人には人のファッションがあると
あらためて思った次第です。

・・・

＜ひきたよしあきプロフィール＞
株式会社　博報堂スピーチライターとして働く傍らで、明治大学で講師を勤める。
現在（財）博報財団にコラム「こどものコトダマ」、博報堂マーケティングエグゼクティブに「経営のコトダマ」、朝日小学生新聞「大勢の中のあなたへ４」、日経BP「カンパネラ」に「生きる力の強い女性」を執筆中。
著者に「あなたは言葉でできている」（実業之日本社）、「ゆっくり前へ　ことばの玩具箱」（京都書房）」、「大勢の中のあなたへ」（朝日学生新聞社）、「机の上に貼る一行」（朝日学生新聞社）、「博報堂スピーチライターが教える短くても伝わる文章のコツ」（かんき出版）、「大勢の中のあなたへ２」（朝日学生新聞社）、「ひきたよしあきの親塾」（朝日学生新聞社）がある。
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