vol.3 ストレイシープ(迷える子羊)
いやはや、考えることの多い年齢です。
家のポストに青い封筒が入っていました。
「ねんきん定期便」です。
こういう封書は何故か心が重くなる。
読めば「人生」を考えざるをえなく
なるからです。
開けば、これまでの「年金加入履歴」が
でてきます。
私はひとつの会社しか勤めた経験がありません。
しかし、3つの加入先が書いてある。
大阪に転勤し、東京に戻った経歴が、
しっかりと刻まれているのです。
楽しいことも辛いこともあった
サラリーマン生活。
それが殺伐とした数字の羅列になっている。
「つまり私の35年ってこういうことなのね」
と、まずはこの数字に心がやられます。
さらにはこんなことも書いてある。
「受給開始を繰り下げると年金は
増額できます。70歳で最大42%UP」
受給開始を遅らせるほど、受け取れる
年金額は増える。
この文言の下には景気のいい
右肩上がりの図表が示されています。
これを見て、また心がやられます。
「果たして70歳まで私は、年金を
受け取れずにやっていけるのだろうか。
そんな体力と仕事が、まだ私に残って
いるのだろうか」
若い頃は、定年退職した後は、悠々自適と
思っていた。
しかし、人生100年時代と言われると、
まだまだ40年もあります。
そこまでいかなくても、人に迷惑を
かけずに生きていくには、幾ばくかの
お金と健康がなければいけない。
それを思うと、がんにかかったこと、
糖尿の数値があがったこと、血圧が
高めなことなど、今度は健康面が
気になりだす。
正直な話、今ほど自分の未来を真剣に
考えているときはないでしょう。
「高齢者も元気に働く社会でありたい」
と国の人たちはいうけれど、
「高齢者は、運転免許を返納してほしい」
とも言う。
抽象的には「働け」といい、具体的には
「体力の限界も考えて」と言われている
ような気分。
「君たちはどう生きるか」
と毎日問いつめられているような
日が続きます。
自分は、どんな老後を過ごしたいのだろう。
何をしているとき、一番楽しいと感じるの
だろうと考える。
おぼろげに頭に浮かんできたのは、
愛媛県松山市の道後温泉でした。
もう20年以上も前にテレビのニュースで
見た映像です。
道後温泉の休憩室に町の皆さんが集って、
夏目漱石「三四郎」の読書会を
やっていました。
松山が舞台のこの小説を、町の人は
何度も読んでいるでしょう。
語ることなどないほど読んでいるかも
しれません。
ところが、ここにいい齢をした人々が
集って、声を出して「三四郎」を
読んでいる。
みんなで、それを語り合っている。
シニアの読書会と言えばそれまで
だけれど、温泉に入り、気のあった
仲間たちと文学談義を交わす風景に、
まだ40代の私は憧れたのでした。
最近、あちこちで夏目漱石や芥川龍之介に
ついて語ることが増えたのは、この映像が
心のすみにあるからかもしれません。
70歳を過ぎたら、そんな生活がしたい。
そのためには、これからやってくる
60代をどう過ごせばいいのだろう。
再び、「年金定期便」に目を落とし、
心をやられているのです。
漱石先生なら、「ストレイシープ」、
迷える子羊と名付けるような状況が、
ずっと続いているのです。
・・・
<ひきたよしあきプロフィール>
株式会社 博報堂スピーチライターとして働く傍らで、明治大学で講師を勤める。
現在(財)博報財団にコラム「こどものコトダマ」、博報堂マーケティングエグゼクティブに「経営のコトダマ」、朝日小学生新聞「大勢の中のあなたへ4」、日経BP「カンパネラ」に「生きる力の強い女性」を執筆中。
著者に「あなたは言葉でできている」(実業之日本社)、「ゆっくり前へ ことばの玩具箱」(京都書房)」、「大勢の中のあなたへ」(朝日学生新聞社)、「机の上に貼る一行」(朝日学生新聞社)、「博報堂スピーチライターが教える短くても伝わる文章のコツ」(かんき出版)、「大勢の中のあなたへ2」(朝日学生新聞社)、「ひきたよしあきの親塾」(朝日学生新聞社)がある。
4月に「5日間で言葉が「思いつかない」「まとまらない」「伝わらない」がなくなる本」(大和出版)、「博報堂スピーチライターが教える口下手のままでも伝わるプロの話し方 (かんき出版)が同時刊行。
絶賛販売中!
『5日間で言葉が「思いつかない」「まとまらない」「伝わらない」がなくなる本』(大和出版)
https://www.amazon.co.jp/dp/4804718516/
『博報堂スピーチライターが教える 口下手のままでも伝わるプロの話し方』(かんき出版)
https://www.amazon.co.jp/dp/4761274123/