大阿闍梨に学んだ
人生を変える真言
1日48㎞の山道を16時間かけて
年間120日歩き続ける。
それを9年。
たとえ病気や怪我、嵐が吹いても
やめることはできない。
さらには、一切の食物、水、
睡眠はおろか横になることもせず
9日。
ただひたすら真言を唱え続ける。
「千日回峰行」という最も厳しい
修行に耐えた人は1300年の歴史
の中で2人だけ。
その偉業を成し遂げた大阿闍梨
塩沼亮潤さんの講演をネットで
見ていました。
厳しい修行をされた方とは思えない
おだやかな、どちらかといえば
女性的にすら感じられる口調です。
尖るところも語気を荒げることも
ありません。
しかし、その修行の時に書かれた
日記は、壮絶としかいいようが
ありません。
たったふたつの小さなおにぎりで
山道を歩きまわる。
栄養不足で血尿が必ずでるそうです。
「なにくそ!」とか
「勇気をだしていこう」
なんてかけ声では体が動かない。
日記を通じて語りかけているのは
おかあちゃんとおばあちゃんです。
「一緒に暮らしたい。
親孝行したい」
と叫び、木の下で動けなくなる
ほどの疲労の中で、おばあちゃんが
自分のために「お茶」を断って
くれていることに気遣い、
いたわりの言葉を綴っている。
「よくぞ、こんな余裕があるな」
と思う私は大甘です。
人は、身体の限界を超え、
死期が目前に迫ってくると、
どうやら人に、親に、感謝の
言葉を述べるものらしい。
私は、この厳しい修行を通じ、
塩沼さんが、とんでもない真言、
人生の奥義、悟りの境地に
至ったものだと思い、前のめりに
なって講演を聞きました。
ところが、その悟りは、
実にあっけないものでした。
「ありがとうございます」
「はい」
「すみません」
これが真言です。
感謝と敬意と反省の言葉。
これが1300年に二人しか
でない荒業を成し遂げた人の
悟りの境地だったのです。
これを聞いたのは
ゴールデンウィークの最中
でした。
老人ホームに戻った母が、
初めて私の家に戻ってきた
休日でした。
来る前は楽しみにしていたのに、
いざきてみると、
「うぜえなぁ」
「ったく、同じことばっかりで」
「なんか、味付けが濃いなぁ」
などと、いう感情が湧き出てくる。
自分の甘さ、傲慢さ、身勝手ばかり
が脳裏を支配し、言葉と行動に
でてしまっていたのです。
だからこそ、大阿闍梨
塩沼亮潤さんが、最後に言った
一言が、心に沁みて、
ヒリヒリしたのです。
「ありがとうございます」
「はい」
「すみません」
当たり前のことを徹底して基礎からやる。
「目の前の人を大切にする」
これは間違いなく、
男の変わりドキ!です。
いや、男も女もないな。
今、自分を変えようとしている
すべての人にとっての真言です。
明日、母は施設に戻ります。
最後には、心をこめてこう言おうと
きました。
「ありがとうございます」
<ひきたよしあきプロフィール>
1960年生まれ
株式会社 博報堂クリエイティブ・プロデューサーとして働く傍らで、明治大学で講師を勤める。現在朝日小学生新聞にコラム「机の前に貼る一行」日経ウーマンオンラインに「あなたを変える魔法の本棚」を執筆中。著者に「あなたは言葉でできている」(実業之日本社)「ゆっくり前へ ことばの玩具箱」(京都書房)」「大勢の中のあなたへ」(朝日学生新聞社)「机の上に貼る一行」(朝日学生新聞社)「博報堂スピーチライターが教える短くても伝わる文章のコツ(かんき出版)最新刊」がある。