未来の顔が見えるとき
大学生をはじめに語り始めたのは、入社1年目からでした。
親戚に予備校をやっている人がいて、そこで大学生を相手に
思えばあれから、30年以上。
当時の学生が、今は中高生の親になっています。
一度か二度、話した程度なのに、今なおつきあいが続いている
のは我ながら驚愕です。
その頃から現在まで、途切れることなく学生とつきあって
きました。
今では得意先の立派な肩書きをもる人もいます。
海外にでて成功し、羽振りのいい人もいます。
時の流れで色々かたちは変わるけれど、
会えば、三田、神保町、高田馬場界隈で、
「あの頃からの自分」についての話を聞くことができる。
これは私のかけがえのない財産になっています。
長く学生と接している。
すると不思議なことに気づくようになりました。
今現役の学生の顔を見ていると、
その子が、私と同年齢になった頃の顔が
なんとなく浮かぶようになったのです。
ただ加齢して、シワが増えたり頭髪が薄くなる
という変化ではありません。
この学生が、成功と失敗を繰り返し、
泣き笑いの中で、どんな履歴書を顔に刻んで
いくか。
それが見えるのです。
きっとこれは、若いころからずっと
つきあってきた学生たちの変化を定点観測
してきたからでしょう。
成功した人もいれば、あらぬ苦労を背負った
人もいる。
運と不運に磨かれて、その人の顔がどう変化
していくか。
それがわかるのです。
松下幸之助さんは、自分の会社への
採用基準として、
1 愛嬌のある人
2 運がよさそうな人
3 背中
とあげました。
愛嬌はわかります。運がいい人ではなく、
「運がよさそう」というところに
松下さんの審美眼があります。
背中とは、「言葉にならない言葉」を
語れるかということだと思っています。
この松下さんの言葉は、もしかすると、
学生たちの未来の顔が見えるという境地に
近いものではないかなと最近思うように
なりました。
学生のその笑顔に、
「あ、この人懐っこさがこいつを助けるな」
タイミングのよさ、気持ちのよいしつこさに、
「運がよさそうな感じだ」
そして別れ際の背中に、それだけの未来を
背負うことができるかが見える。
振り返ると私の年齢になった彼ら、彼女らの
顔が見えてくるのです。
人の顔に、未来が見える。
これもまた、男の変わりドキ!ではないかと
思う。
肩書きやら出自やらとは何ら関係のない、
「未来」を人に見られるようになったとき
人間関係というものが大きく変わっていく
ように思えるのです。
<ひきたよしあきプロフィール>
1960年生まれ
株式会社 博報堂クリエイティブ・プロデューサーとして働く傍らで、明治大学で講師を勤める。現在朝日小学生新聞にコラム「机の前に貼る一行」日経ウーマンオンラインに「あなたを変える魔法の本棚」を執筆中。著者に「あなたは言葉でできている」(実業之日本社)「ゆっくり前へ ことばの玩具箱」(京都書房)」「大勢の中のあなたへ」(朝日学生新聞社)「机の上に貼る一行」(朝日学生新聞社 最新刊)がある。