聖なる不要をめざす
「お父さんとお母さんが別れてしまいました。
おにぃちゃんは、お母さんについていきました。
私はお父さんといっしょに暮らすことになりました。
でも、私はお母さんやおにいちゃんといっしょに暮らし
たいです。そのことを言うと、お父さんがすごく怒ります。
私がお母さんに会いにいくのがなぜいけないのか、
ひきたさん、教えてください」
「私には友だちが二人います。でもそのふたりは仲よく
ありません。私が、かた方の子と遊んでいると、
もう一人が怒ります。もうひとりの人も、私が反対の子と
あそんでいると、怒ります。私はいつも怒られています。
でもほんとうは三人でなかよく遊びたいです。
三人、なかよく遊ぶ方法を教えてください」
「ひきたさん、前に書いた手紙は、うその手紙です。
おかあさんが見ているところで書いた手紙です。
私は手紙の出しかたを知らなかったので、ひとりで
書いた手紙を出せませんでした。でも、今は出し方を
覚えたので手紙を書けます。
前に書いた手紙はうそです。ほんとは、お父さんが
ぼう力をふるうので困っています」
朝日小学生新聞にコラムを書いています。
そのおかげで子どもたちから手紙がたくさん届きます。
今の子の手紙は、
「夕やけは、どうして赤いのですか?」
なんて質問は一切ありません。
そんな大人が考えている子どもの悩みなど
この世にはないと断言できるほど、内容は複雑です。
私はこうした手紙に、返事を書いています。
カバンの中に手紙を入れて、どうやって返事を
書こうかと悩みます。
喫茶店で開いては考え、会議の途中に腕を組んで
悩み、何度も書き直しながら自分なりの答えを
書いていきます。
なぜ私のような人間に子どもたちは手紙を
書いてくるのでしょう。
先生や周囲の大人たちは一体何をやっているのか?
と不思議な気持ちになった時期もありました。
しかし、よくよく考えてみると、周囲には
言えないから、毎週読んでいるコラムを書いている
人に手紙を書きたくなるのでしょう。
私と似たような存在は何か?と考えたました。
いつも気持ちのいい距離感を保っている人は誰か?
と考えて浮かんだのが、
「フーテンの寅さん」
です。
寅さんはいつもフラフラしています。
出会うのは通りすがりのものです。
だからこそ、話しやすい。
半分自分のことを知らないお人好しだから、
ついつい話してみたくなる。
そんな感じじゃないかな。
寅さんのことを
「聖なる不要」
といった人がいます。世の中にとっては
特に価値がない存在でも、その不要である
ところが尊い。そこに価値がある。
子どもたちにとっての私は、成長してしまえば
忘れても平気な人間に違いありません。
でも、だからこそ、こうした質問をもらった
時は、ない頭をひねり、「聖なる不要」の立場から
真剣に手紙を書こうと思っています。
古くは窓際、今は老害。
不要な人間に対する風当たりはつよいけれど、
それを卑下することなく、
「そうだ、俺は不要だ。
聖なる不要だ」
と開き直って、返事を書いたとき、
男はまた、変わりドキ!を迎える
ように感じるのです。
さて、冒頭の手紙、
あなたならどう返事を書きますか?
いい答えがあったら教えてください。
必ず返事を書きます。
<ひきたよしあきプロフィール>
1960年生まれ
株式会社 博報堂
クリエイティブ・プロデューサーとして働く傍らで、明治大学で講師を勤める。現在朝日小学生新聞にコラム「机の前に貼る一行」日経ウーマンオンラインに「あなたを変える魔法の本棚」を執筆中。著者に「あなたは言葉でできている」(実業之日本社)「ゆっくり前へ ことばの玩具箱」(京都書房)」「大勢の中のあなたへ」(朝日学生新聞社)「机の上に貼る一行」(朝日学生新聞社 最新刊)がある。