「好き」は、「愛」のもと
谷川俊太郎さんの言葉に、
「好き」は、「愛」のもと。
があります。
初めて読んだとき、当たり前すぎてピンときませんでした。
5年、10年とこの言葉を抱えてきた。
そして、つい最近、やっと
「これはすごい。これぞ、人生だ!」
などとコーフン気味に思えるようになったのです。
小学校3年生のとき好きになった佐藤久美ちゃん。
どうしたことか、ある日そっくりの
ブルーのタートルネックを着てきたのです。
周囲から、「おそろい!」「熱い〜!」なんて
はやし立てられました。
それが嬉しいのに、
「ちゃうって!おまえ真似すんなや!」
なんて怒ってみたりして。
ほんとはそれが着たくて着たくてしょうがないのに、
恥ずかしくて着ていけません。
母が、「なんで着ないんだ?」とデリカシーの
かけらもない言葉を浴びせてきます。
それでも、着ていけませんでした。
でも、佐藤久美ちゃんは、着てきました。
それがとても嬉しいのですが、
「もしかしたら佐藤は、僕みたいに意識しないから
着られるのかな?」
と思うと今度は悲しくなりました。
それから先は、佐藤久美ちゃんのことばかりが
気になります。水色のタートル以外の服も、
新しい運動靴も、ピンクの髪どめも、
ブルーの鉛筆ケースも何もかも。
そしてあの角度、この角度の姿。
一生懸命走る姿、友だちとハイタッチした
ときの笑顔。
まるで磁石の中に砂鉄をいれたかのように、
ありとあらゆる「好き」「好き」「好き」が
くっついてきたのです。
以来、人を好きになるたびに、こんな気持ちが
起きた。一瞬にして「好き」がまとわりつく
一目惚れもあれば、気がついたら「好き」で
いっぱいになっていた恋もあった。
そんな経験を繰り返し、齢を重ねてくると、
以前と様子が変わってきた。
「好き」を集めようとしても、
「あぁ、経験上、無理だね」とか
「見せかけだけだよ。本性は違うよ」とか
大した経験をしたわけでもないのに、
「好き」を集める力が弱くなってきたのです。
「もう若くないからね。手痛い失敗もしてるし」
なんて言い訳ばかりが先行する。
そのうち、磁石そのものを持ち歩かなくなって
しまいました。
そんな私がちらりと心が動いたのは、
「ラブレターを書く」話が来たときでした。
「手紙の講座」を主宰している女性から、
「ラブレターの書き方を教えられますか」
と言われて、ふっと砂鉄がそよいだ。
「今の俺にラブレターが書けるかな」
と思う。
「書くなら何色のインクで書こうかな」
と考え、
「書き出しの一言は何にしようか」
と小さな「好き」の砂鉄を集めだしたのです。
佐藤久美ちゃんの時に集めた「好き」とは
随分違う。それでも今の年齢の私ならではの
「好き」の集め方があるはずだ。
心の物置からホコリのかぶった磁石を
取り出してみる。
「そうだ、便せんは初恋のときにときめいた
あの薄い水色にしよう」
なんて考えだしてやっと、
「好き」は「愛」のもと
という言葉の深さに行き着いたのでした。
さて、桜もそろそろ散ってきたし、
葉桜の中で、ラブレターに書く最初の
一言を考えてみようかな。
<ひきたよしあきプロフィール>
1960年生まれ
株式会社 博報堂
クリエイティブ・プロデューサーとして働く傍らで、明治大学で講師を勤める。現在朝日小学生新聞にコラム「机の前に貼る一行」日経ウーマンオンラインに「あなたを変える魔法の本棚」を執筆中。著者に「あなたは言葉でできている」(実業之日本社)「ゆっくり前へ ことばの玩具箱」(京都書房)」最新刊「大勢の中のあなたへ」(朝日新聞出版)がある。