作ろう 食べよう 生きよう
10年近く前になりますが、老人ホームを見て歩いた時期が
ありました。
都内の超高級老人ホームから、郊外の緑豊かなホーム。
高台の海が見える家から老朽化して見るに忍びないような
ところまで訪問し、ご老人たちに話を聞きました。
施設や利便性がよくても、食事や介護が行き届いていても、
当時の私には「幸福」とか「満足」という言葉からは
ほど遠く見えました。
仕方のないことだけれど、そこには今日の楽しみがあっても、
明日の希望がないのです。障害を乗り越えて向上したり、
ギリギリに追いつめられたところから失地回復するような
ことがない。
昨日と同じ今日が、きっと明日も続いていく。
毎朝の血圧を気にしながら、塩分控えめなものを食べて
暮らす毎日に生きる手応えのようなものがないように思われ
ました。
無論、これは私見です。中には素晴らしく充実した生活を
送っている方もいることでしょう。
しかし残念ながら2年ほど全国を回ってみて、そうした方に
出会う機会はありませんでした。
こうした施設に懐疑的になっていたとき、
ある大学生の先生から、アメリカで成功している施設の
話を聞きました。昔のことで場所が思い出せないのですが、
確かマイアミだったと思います。
そこはけして裕福な施設ではないそうです。
むしろ一人ひとりの暮らす部屋は、質素でした。
その代わり、誰もが24時間使える調理場があります。
いつでもだれでも、何かを調理できる。
その横には、食事をするためのテーブルがいくつも
おいてあるといいます。
「みんな料理は自分で作るんです。畑をやったり釣りをして
何かを収穫したらすぐに料理がはじまって人が寄ってきます。
仲間の田舎からたくさんのトウモロコシが送られてくれば、
みんなでそれを焼いて食べる。買い出しにもみんなで行き、
おのおの自分の好きなものを買って、みんなに振る舞う
わけですね。料理のできない人は、ちゃんと皿洗いとか
掃除とかの役割もある」
このホームが大変成功しているというのです。
「同じ釜の飯を食う」の一言に尽きますが、人は
「食べる」ことに目的をもち、自分が作ったものを
他の人が美味しく食べてくれる姿に生きがいを
もつことができるもの。
いや、これが人間の根源的な喜びなのかもしれません。
私は、今からなんとかこれができないかと考えています。
高級なレストランも流行の店も、さして美味しいとも
楽しいとも思わない。
それよりは仲間が集まって、金と知恵を出し合いながら
みんなで作り、みんなで食べる。
理想を言えば同じ畑をもったり、気の合う仲間で働いた
報酬で同じ釜を囲むのが理想でしょう。
お金に変えられないものは、明日への希望です。
それを得る確実で、唯一の方法が、
気の合う仲間と、「作ろう、食べよう、生きよう」と
声を掛け合い、集うことではないでしょうか。
男の変わりドキは、その昔、「入るべからず」と言われた
厨房から。
あなたもいっしょに、調理場と食卓へいかがですか。
<ひきたよしあきプロフィール>
1960年生まれ
株式会社 博報堂
クリエイティブ・プロデューサーとして働く傍らで、明治大学で講師を勤める。現在朝日小学生新聞にコラム「机の前に貼る一行」日経ウーマンオンラインに「あなたを変える魔法の本棚」を執筆中。著書に「あなたは言葉でできている」(実業之日本社)「ゆっくり前へ ことばの玩具箱」(京都書房)」最新刊「大勢の中のあなたへ」(朝日新聞出版)がある。