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ぼーっとしとき。

 広告会社に入社して、すぐに大阪に赴任しました。
 クリエイティブ部門は、私を含めて3人。それぞれにトレーナーが
 ついて勉強します。
 
 ところが私についてくれたトレーナーが大変忙しい人で、ほとんど
 面倒を見てくれない。大半は東京に出張していて、時折戻っては、

 「すまんなぁ。まぁ、でも、今はぼーっとしとき。
 すぐに忙しくなるから」

 というだけでした。

 研修は、主にレポート。その課題は、
 
「朝から梅田花月に言って、「おもろい」と思ったネタを
 教えてくれ」
 
 でした。

 大学を出たばかりの私には、これが本当に研修なのか?と
 疑うばかりでした。

 「ええか。梅田花月に行くときは、阪神百貨店の下で、
 おこわ(=赤飯)こうていくんやで。そういうもんや」

 と言われるけれど、全然意味がわからない。
 他の二人が商品を渡されて、コピーを書いている時間、
 私は、ちっとも面白くない漫才やコントを見ているのです。

 朝から梅田花月に行く。ガラガラです。
 そんな中に、小さなおばぁちゃんがいました。
 見ると、阪神百貨店の包み紙を膝においている。
 

 「おこわかな?」

 という興味だけで、隣の席に座る。
 ガラガラなのに、隣に座るのも変かなと思ったけれど、
 おばぁちゃんは、ムスっとして表情ひとつ変えません。

 芸人が次々でてくる。
 長く東京にいた私には、ちっとも面白くない。
 おばぁちゃんも、ひとつも笑いません。

 「あぁ、なんでこんなつまらないもん、見てなきゃ
 いけないんだ!」

 と泣きたい気分になったとき、おばぁちゃんが、
 クスッと笑ったのでした。

 「よぉ、なった」

 と確かこんなつぶやきです。
 「たいぶ、よくなってきた」という意味でしょう。

 そのネタを聞き逃していたので、何が「よぉ、なった」
 のか、わかりません。

 午後になって、東京でも売れている芸人がでてきた。
 やっと「おもろいネタ」に出会える!と思ったら、
 おばぁちゃんは、

 「あかんわ」

 と眉間にしわを寄せて、包み紙を開きました。
 思った通り、「おこわ」でした。

 何が面白く、何が「よぉ、なって」、何が「あかん」のか。
 私にはちっともわかりません。
 それでもマシかな、と思ったネタをいくつかひろって
 トレーナーの前で話しました。

 ネタに自信はないし、人前でしゃべる経験も少ないので、
 こわばってちっとも面白く話せない。
 先輩も厳しい顔をするばかりです。
 研修が嫌になるどころか、大阪に来たことを恨みました。

 それでも毎日のように花月に通いました。
 でも、ひと月たっても面白いネタがわかりません。
 毎度、毎度、トレーナーの重苦しい雰囲気に負けて
 話すこともできず、

 「もう、ダメだ!」

 と思ったときに、トレーナーが、

 「ひきた、しゃぶしゃぶに行きへんか?
 東京からお客さんが来てねん」

 と言いました。
 しゃぶしゃぶを食べるより逃げたい気持ちの方が
 先立っていたけれど、とりあえずついていく。
 初老のお客さんを前にして、ビールを飲んでいると
 トレーナーが、

 「この新人、今、毎日、『梅田花月』に行ってます。
 ひきた、どんなオモロいこと、あるんや。
 オモロい客、おるやろ」

 と言われて、はっとした。

 これまで舞台の上のネタしか探してなかったけれど、
 観客席には、あのおばぁちゃんがいた。
社長とトレーナーに向かって私は、このばぁさんが椅子に
正座している様子から、苦虫をつぶしたような顔や一度に
食べるおこわの分量が多すぎていつもこぼす様子などを
語ったのです。

スルスルでてきました。いくらでも喋れました。
二人とも「いるなぁ、関西にはそういうおばちゃん!」と
言って笑ってくれます。

「ちゃんと、オモロいネタ、つかんでるやんか」

と言われて、しゃぶしゃぶを食べながら、泣きたい気持ちに
なりました。

不思議なもので、この日を境に、私は花月で「おもろい」と
思えるネタを拾えるようになりました。自分の「おもろい」と
思う判断に自信がもてるようになったのです。

これが私の研修でした。
今でもアイデアに苦しむと、先輩の

「ぼーっとしとき」

という声が聞こえます。
それに誘われるように街にでて、第二、第三の
「おこわのおばぁちゃん」を探しにいくのです。


<ひきたよしあきプロフィール>
1960年生まれ
株式会社 博報堂
クリエイティブ・プロデューサーとして働く傍らで、明治大学で講師を勤める。現在朝日小学生新聞にコラム「机の前に貼る一行」日経ウーマンオンラインに「あなたを変える魔法の本棚」を執筆中。著書に「あなたは言葉でできている」(実業之日本社)「ゆっくり前へ ことばの玩具箱」(京都書房)」最新刊「大勢の中のあなたへ」(朝日新聞出版)がある。 

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