彼女の残した音楽
10年近く続いた結婚生活にピリオドを打つ直前、
二人の荷物を分ける日があった。
マンションは私が引き続き住むことになったので、
妻が自分の荷物をまとめる数日、私はホテルで暮らした。
戻った部屋は間違い探しのようだった。
つい数日前には確かにあったものがない。
意外に残っているようにも見える。
ひどく少なくなったようにも見える。
何がどうなくなって、今こういう状態になっているのか、
頭で整理がよくできない。
すべてのものが、遠い過去の遺物として存在しているように思えた。
ジャケットを脱いでソファに腰掛けると、人気のない博物館にいる
ような気さえしたのである。
音がなかった。
自分の呼吸さえ、聞こえなかった。空気が振動をやめてしまった
のではないか。ふと見ると、CDジャケットがあった。
「そうだ、音楽でもかけよう」と思って、立ち上がった。
CDジャケットは、見事なほどきれいに整理されている。
彼女が自分で買ったものはきれいになくなっていた。
私が気にいっているものは、100%残っていた。
さらに、二人で買ったCD、つまりどちらの持ち物とも判別
のつかない共通のものは、ほぼすべて残っていた。
よくカラオケで歌ったJポップス、二人でシカゴを旅行した
ときに買った「ワルツ・フォー・デビィ」、ネコの鳴き声で
クリスマスソングを構成した愉快な音etc.
10年の思い出が、わずか数枚のCDに濃縮されて、私の手元に
残ったのだ。
それを捨てることもできず、聴くこともできず。CDジャケットの
隅におかれたままの生活が始まる。
やがてCDからMDに代わり、音楽はスマホで聴く時代になって、
CDジャケットに手を伸ばすこと自体がなくなる。
居間にあったCDは、奥の書庫の片隅に追いやられた。
しかし、捨てるでもなく、聴くでもないまま年月はさらに
5年、10年と過ぎていった。
今年、腎臓がんの手術をしたあと。私は生活そのものを根本から
あらためようと思い、断捨離を決行する。
まだ傷口が痛み、風呂に浸かることもできない状態の中で、
ありとあらゆるものを捨てた。
「捨てなければこれ以上生きることはできない」
そんな妄想にかられて、寝る間も惜しんで片付ける。
そこで何年ぶりかで、このCDたちと対面した。
CDプレイヤーにかけることに抵抗はなかった。音楽が流れ、
彼女と走ったシカゴの空や、一緒に歩いたパリの町並みが
瞬く間に頭を占領する。
長く忘れようと努めていた時間が一気に頭と心にやってきた。
しかし、私はそれを懐かしむでも、悔いるでも、悲しむでも
なく、心の底から、彼女に「ありがとう」と言える境地になって
いた。
死を意識して、初めてともに時間を過ごしてくれた人への
感謝の気持ちをもつことができたのだ。
私はCDの一枚、一枚をかけながら作業を行い、最後にまとめて
ボランティア団体に寄付をした。
この世にともに暮らした人へ感謝の気持ちを持てるようになったとき、
人は明らかに変わる。
すべての気持ちが「感謝」へと統合されたとき、次の扉が開かれてくる。
ありがとう。そして私は、新しい音楽を探し始めている。
<ひきたよしあきプロフィール>
1960年生まれ
株式会社 博報堂
クリエイティブ・プロデューサーとして働く傍らで、明治大学で講師を勤める。現在朝日小学生新聞にコラム「机の前に貼る一行」日経ウーマンオンラインに「あなたを変える魔法の本棚」を執筆中。著書に「あなたは言葉でできている」(実業之日本社)「ゆっくり前へ ことばの玩具箱」(京都書房)」最新刊「大勢の中のあなたへ」(朝日新聞出版)がある。