「卒業するということ」
倉本聰作「北の国から」という名作ドラマがありました。
都会の生活を捨て、北海道富良野で水道も電気もない生活を
始める父と二人の子ども。ドラマの中でぐんぐんオトナになって
いく純と蛍を、当時の日本人は我が子のように見つめていました。
その純が青年になって東京をめざします。
案の定、まともな生活は送れず、髪を染めたり、女の子を
孕ませたり、スッタモンダを続ける。
「東京」あるいは「都会」にボロボロになっていた純は、関係をもった少女の言う。
「東京はもういい。あたし、卒業する」
という言葉にはっとする。そして自分もまた東京を卒業していきます。
非常に印象的なシーンでした。学校を出て行く以外にも人生には
「卒業」する場面があるのだなと10代の私に教えてくれました。
私もこの言葉に目を覚まされた経験があります。
離婚で悩んでいたときのこと、友人にあるハンコ屋さんに連れて
行ってもらいました。ハンコを見れば、その人の生活がわかる。
ちょっとインチキくさいですが、悩んでいるときは第三者の一言に
よって道が開けることがあります。
バスを乗り継いでハンコ屋に行く。
こちらの事情は何も語らず、ただハンコを見せただけなのに、おじさんはこう言いました。
「おままごとからは、卒業だな」
この一言を聞いた瞬間、体中の力抜けました。
同時に全く新しい力が自分の中に染みわたってくるのを感じたのです。
自分の生活にけじめをつける。
それは断ち切るものでも、水に流すものでもありません。
中学生が高校生になるように、大学生が社会人になるように、
ある一時期の疾風怒濤の日々を終え、次のステージにあがること。
新しい制服に身を包み、次の階段に足をかけること。
「卒業」という気持ちになれば、ふしぎと過去の生活には感謝の
念が湧いてくる。感謝の気持ちが湧いたとき、しばらく見たことの
なかった青空が頭の上に広がるようでした。
以後、私は何度も「卒業」を繰り返してきました。
何ヶ月もかけて中国で仕事をしたある朝、朝食を食べているとき
突然、「そろそろこうした海外出張は卒業だな」と頭に浮かびました。
そう決めてしまえば簡単に行動に移せます。
帰国した私は、とある論文に応募しました。これが大学で教える
きっかけになっていったのです。
人生が変わる瞬間を一言で言い表せば、「卒業」
病のあけた私は今、二十歳の頃からの酒びたりの生活からの
「卒業」をめざしています。
<ひきたよしあきプロフィール>
1960年生まれ
株式会社 博報堂
クリエイティブ・プロデューサーとして働く傍らで、明治大学で講師を勤める。現在朝日小学生新聞にコラム「机の前に貼る一行」日経ウーマンオンラインに「あなたを変える魔法の本棚」を執筆中。著者に「あなたは言葉でできている」(実業之日本社)「ゆっくり前へ ことばの玩具箱」(京都書房)」最新刊「大勢の中のあなたへ」(朝日新聞出版 8月10日発売)がある。