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母校の早稲田大学に「ホームカミングデー」という同窓会があります。
卒業後15年・25年・35年・45年・50年目を迎えた卒業生を大学が
招待し、親睦を深めるという催し。

卒業式ですら友人で朝まで飲んでいて遅刻した私です。卒業15年目は、
招待されたことすら覚えていない。
現業に忙しく、大学生活を懐かしむ暇はありませんでした。
ところが何の拍子か、卒業25年の招待状は目に入った。
40代も後半にさしかかり、
「ここからの会社生活が一番の急斜面!」
と言われる時期に、ふと母校を訪れてみたくなりました。

学生時代の私は、さほど母校が好きな人間ではありませんでした。
野球の早慶戦もラグビーの試合もほとんど行ったことがない。
講義にもほとんど出ず、大学の仲間と飲み歩きもせず、もっぱら
「文芸誌」の編集やテレビ局でクイズを作るアルバイトに明け暮れていました。

だから、この手のイベントに参加しても、校歌を歌えません。
後半を覚えてないのですからモゴモゴ歌ったふりをするしかない。
卒業50年席からは、車椅子姿の老人が学生服に身をつつみ、
滂沱の涙を流しながら「都の西北」を熱唱している。
まぁ、気持ちはわかるけれど、どこかで
「この大学の、こーいうところが嫌い」
という気持ちが残っていました。

もうここにくることもないだろうと思ったものの、何を間違えたのか、
同年幹事会のアンケートに参加の印をつけてしまった。
それがきっかけで、大学時代には顔を合わせたことない同級生と飲んだり、
話したりする機会が生まれたのです。

同じ時代に同じキャンパスの空気を吸っただけ。
たったこれだけのつながりなのに、なんだか懐かしい。
不思議なもので、同年代の人間がつるむときに感じる疲れや老いを
このメンバーには感じることがない。50代がそこに見えているにも
関わらず、大学当時の年齢のように見えるのです。

どんな会社で働き、肩書きがどうなっているかなんて関係ない。
集まれば「稲門祭」という同窓生が学生時代に戻って行う文化祭の
話をし、いい齢をした連中が、屋台をだしてレモネードを売ることに熱中するのです。

大学教授も政治家も銀行員も専業主婦も起業家もみんな「えんじ色」
のTシャツに身を包み、声をからしてポップコーンやレモネードを売る。
夕暮れ時に校歌を歌い、そのまま焼き鳥屋に流れて飲み、歌う。

この瞬間、今まで味わったことのない「母校愛」やら「同窓の紐帯」やらが
生まれたような気がしました。
「あの子、かわいいなぁ」
「なんで学生時代に知り合わなかったんだろう」
という久々に味わうほのかな恋心。
蛍のように、胸にぽっと光が灯ったとき、
私なりの「オトナ思春期」を感じたものです。

本気になって、二度目の青春を謳歌する。
野暮天で鳴らす大学を初めて「粋」と思った瞬間でした。


ひきたよしあきプロフィール
1960年生まれ
株式会社 博報堂
クリエイティブ・プロデューサーとして働く傍らで、明治大学で講師を勤める。現在朝日小学生新聞にコラム「机の前に貼る一行」日経ウーマンオンラインに「あなたを変える魔法の本棚」を執筆中。著者に「あなたは言葉でできている」(実業之日本社)「ゆっくり前へ ことばの玩具箱」(京都書房)」「大勢の中のあなたへ」(朝日新聞出版 7月予定)がある。

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